名古屋城が築かれるまでの数十年間、ここには那古野城(なごやじょう)があっ
て、織田信長はここで生まれたとされています。いまでも二の丸庭園内に「那
古野城跡」の碑が残っており、今川氏豊の居城とされています。やがて織田信
長の父が那古野城を奪い取りましたが、信長はやがて清須城に移り清須城から
桶狭間の戦いに出陣することになります。しばらく日の目をみなかった那古野
城ですが、徳川家康の命により1610年の名古屋城築城と清須越開始で、徳川御
三家筆頭尾張家の居城となっていきます。ちなみに、現在名古屋市中区にある
「那古野神社」と地名「那古野」はそれぞれ「なごのじんじゃ」・「なごの」
と読み、那古野神社という名前は明治時代になってつけられたもの。
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【名古屋市教育委員会看板】
大永(1521〜28)の初め、今川氏親が名古屋台地西北端に築いたもので、一名
「柳の丸」といった。氏親は、一族の氏豊を城主として守らせていたが、天文
元年(1532)織田信秀のため城を奪われた。その後信秀が居城し、天文3年信長
はここで生まれたよいわれる。同年、信秀は古渡城に、また、弘治元年(1555)
信長も清須に移り、一族の信光が居城したが、やがて廃城となった。慶長15年
(1610)名古屋城築城の際、二の丸の一部となった。
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▼名古屋城のご案内
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管理事務所 名古屋市中区本丸1-1 電話:052-231-1700
開園時間:9:00〜16:30 休園日:12月29日〜1月1日 最寄駅:地下鉄市役所
観覧料:大人1人1日500円(高齢者・団体等割引制度、年間定期観覧券あり)
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